思い出の美しさや楽しさから、ずっと腐れ縁になっていた友達と思い切ってさよならした話
一匹狼であまり馴れ合わないクールタイプの女で、意志のない流されるタイプの私とは対極なのは自分でもわかっていて。
羨ましいものをたくさん持っている友達でした。
共通の作品繋がりで中学生の頃に知り合い、紹介してくれた友達よりも仲良くなるというよくあるパターンで、同じ高校に進学。
クラスは同じになることなく、なんかもうずっと一緒に居た。この頃の無敵体験がいま思うと私なりの青春だったのかもしれない。
働き始めてだんだん流されるばかりではなくなり、ひとりでなんでも決められるようになった頃、頼りない私のことが好きだったんだなと気がついた。そんなに出来る子だったっけ?と言われたら気がつくよな。普通。
頼りなくて、自分よりも至らない女を近くに置いて優位に立ちたい そんなところがちらほら感じられるようになってしまった。
足として使われ、私からの頼みは断り、自分の要求は通そうとする。
それでもこれがこの人の個性なんだなと、
謎のでかい心で居た。
変わった経歴の友達がいることが
自慢の一つだったので。
いま思うととても失礼だな。なんだと思ってんだ。自分がつまらないからって外付けするなんて。
けれど、急に、もう付き合いきれない。今日を最後にしよう。わたしのためにもう会いたくないと我慢の限界がやってくる。
限界の線がわからず、頼まれてもいないのに勝手に我慢して我慢して壊れてしまいがちな私が、もうこれ以上は無理だわと気がつくことができて、すこし成長を感じた。
どこが限界がわからないと悩んでいる人がいたらお伝えしたい。
急にプツッと途切れる。静かに今だなと理解できるし急に降りてくる。
だからあーだこーだ考えて迷っているうちはまだ未練というか離れないなにかが絶対にあるので無理に切らなくてもいいと思う。
あなたとはこういう理由でもう縁を切りたい。
ここが嫌いです。と投げることすら親切に思えて、もうそんなことすらしたくなかったので、
年末に遊んでまたねと言われた時にまたねがどうしても言えず、笑顔で手を振り車に戻りそのままブロックと着信拒否をして家に帰った。
それから私の日常に二度と登場することなく
数年経過している。
実は何に対しても何年とか何ヶ月とか月日をカウントすることに価値を見出せないので一切数えていない。
自分の年齢すら曖昧だったりする。
思い出すことはあったし、
友達だったことは事実なんだけど
生きてても死んでても
土地を離れていてもいなくても
ほんとにどうでも良かった。
薄情なのかもしれないけれど
他人とはそんな距離感でいる。
ひとはみなひとり。
その子を昨日たぶん見かけた。
ひとりでカフェで携帯を見ていた。
一瞬だけどわかるもんなんだな。
まあ親友のようだったからわかるか。
土地を離れずに暮らしているんだな。
けど、ただ、へえって思ったのみ。
きっとその子に対しての感情は1番近い友達として過ごした数十年のうちにすべて使いきってもう使える感情がゼロになったから離れたんだと思います。
考えたことをなんとなく整理したくて書いた日記でした。